トラックドライバーの時間外労働の上限が年960時間に制限されてから、2年余りが過ぎました。施行前は「モノが運べなくなる」「物流が止まる」といった見出しが連日のように並び、業界の存続に関わる危機として語られていた問題です。ふたを開けてみれば、物流が止まる事態には至りませんでした。ただしそれは規制の影響が小さかったからではなく、運送会社が水面下で配車と運行、そして取引条件を組み替え続けてきた結果です。むしろ表面上の混乱がなかったぶん、「もう乗り越えた課題」として意識から外れやすくなっている面があります。本記事では、2026年時点で出そろってきた公的調査のデータをもとに、規制の運用がどこまで浸透したのか、そしてそれが運送会社の収益にどう跳ね返っているのかを整理します。資金繰りへの波及については物流2024年問題で運送会社の資金繰りはどう変わるかで扱っているため、ここでは収益構造そのものに焦点を絞ります。
960時間規制の中身を2026年時点で確認する
この規制は、トラックドライバーの時間外労働の上限を年960時間とするもので、2024年4月1日から適用が始まりました。ここで押さえておきたいのは、960時間が「原則」ではないという点です。時間外労働の原則的な上限は月45時間・年360時間であり、960時間は臨時的な特別の事情があって労使協定を結んだ場合の特例上限にあたります。また、この960時間に休日労働の時間は含まれません。
あわせて、拘束時間や休息期間を定める改善基準告示(自動車運転者の労働時間等の改善のための基準)も同じタイミングで見直されました。拘束時間は原則として年3,300時間・月284時間(労使協定があれば年3,400時間まで、月310時間への延長は年6か月が限度)、1日の拘束時間は原則13時間・最大15時間、休息期間は継続11時間以上を基本として9時間を下回らないこと、といった内容です。
残業時間の上限だけを見ていると数字の話に見えますが、現場で実際に効いてくるのは、むしろ拘束時間と休息期間のほうです。1日の運行をどこで区切り、どこで休息を確保するかという配車設計そのものを組み替える必要が生じた点が、施行当初の負担を大きくした要因でした。
2026年時点で見えてきた3つの実態
施行から2年余りが経ち、公的な調査にも変化が数字として表れ始めています。ここでは、運行の実態、運賃、経営体力という3つの角度から現在地を確認します。
拘束時間は実測で1時間半以上縮んだ
国土交通省が2026年7月に公表した調査(2025年4月から8月までの通常期を対象)によると、トラックドライバーの1運行あたりの平均拘束時間は10時間13分でした。前回調査から1時間33分の減少です。しかも減少幅の大半は荷待ち・荷役等時間の短縮によるもので、この部分だけで1時間16分減り、2時間2分になっています。一方で運転時間はほぼ横ばいでした。
つまり、縮んだのは「走っている時間」ではなく「待たされている時間」です。1運行あたりの輸送そのものを削らずに拘束時間を短くできた会社が一定数出てきた、というのがこの2年間で起きた変化の中身になります。規制対応を「運べる量を減らすこと」で帳尻を合わせた会社と、待機や手作業を削って帳尻を合わせた会社とでは、同じ規制の下でも売上の残り方がまったく違ってきます。
運賃転嫁ができた会社とできない会社の差が開いた
運賃の側にも制度の後押しがありました。国土交通省が2024年3月に告示した新しい「標準的な運賃」は、同年6月に施行され、運賃水準を平均約8%引き上げるとともに、積込料・取卸料といった荷役の対価を別建てで加算する考え方を示しています。交渉の材料としては、以前よりはるかに具体的なものが用意されたことになります。
ところが、それが実際の運賃に届いているかというと、業界全体としては心もとない状況が続いています。中小企業庁が2026年6月に公表した価格交渉促進月間(2026年3月)のフォローアップ調査では、全体の価格転嫁率が54.2%であるのに対し、トラック運送業は受注側として36.9%(32業種中31位)、発注側としては34.5%で最下位でした。価格交渉の実施状況にいたっては32業種中32位で、こちらも最下位です。制度は整ったものの、それを自社の運賃に反映させられたかどうかは会社ごとにばらついている、というのが実態と言えます。
経営体力の差が倒産件数に表れている
帝国データバンクが2026年4月に公表した調査によると、2025年度の道路貨物運送業の倒産は321件でした。351件だった前年度を下回ったものの、過去4番目の高水準です。人手不足と燃料価格の上昇が背景として挙げられており、規制対応が一段落した後も経営環境が緩んだわけではないことを示しています。運べる量に上限がある中で、単価も上げられず、コストだけが上がる状態が続けば、体力の差はそのまま存続の差になります。
規制施行前と2026年時点で、運送会社を取り巻く条件がどう変わったのかを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 規制施行前(〜2024年3月) | 2026年時点 |
|---|---|---|
| 拘束時間 | 長時間労働が常態化しやすい | 上限を意識した運行管理が浸透 |
| 運べる荷物量 | ドライバー個人の裁量で融通が利いた | 1人あたりの稼働時間に明確な上限 |
| 荷待ち・荷役 | 実態が可視化されにくい | 記録と報告が進み削減の対象に |
| 運賃・収益構造 | 走行距離頼みの収益確保 | 運賃転嫁の有無で会社間の差が拡大 |
| 人材確保 | 労働環境の厳しさが敬遠要因 | 労働環境を改善した会社ほど採用で優位 |
収益への影響を4つの要素に分解する
ここまでの実態を、収益に効く要素として分解すると、次の4つに整理できます。
| 要素 | 収益への影響 |
|---|---|
| 走行量の上限 | 1人あたりの走行距離・時間に上限があり、稼働量を積み増す形での増収が難しい |
| 運賃転嫁の可否 | 標準的な運賃を交渉材料にできた会社とできなかった会社で収益差が拡大 |
| 人件費の水準 | 採用と定着のための待遇改善コストが増加傾向 |
| 荷待ち・荷役の削減 | 待機時間を削れた会社ほど、同じ拘束時間でより多くの実車時間を確保 |
こうして並べると、960時間規制そのものが直接収益を削っているというより、規制をきっかけに「運賃交渉力」と「業務効率化への対応力」の差が可視化され、それがそのまま収益の差として表面化していることが分かります。規制がなければ差がなかったわけではなく、長時間労働という緩衝材で見えなくなっていた差が、上限という天井ができたことで隠せなくなった、という言い方のほうが実態に近いでしょう。だからこそ、原価計算で自社のコスト構造を数字にできているかどうかが、そのまま交渉の土台の有無につながります。
収益の明暗を分けた3つの対応
同じ規制の下で収益を維持できた会社が何をしていたのかを見ると、対応はおおむね3つに集約されます。
標準的な運賃を根拠に転嫁を実行できたか
標準的な運賃という材料が用意されても、荷主との交渉のテーブルに載せなければ運賃は動きません。実際に交渉へ踏み出した会社は、走行量に上限があっても収益を維持・改善しやすくなります。一方で交渉を先送りにしてきた会社は、上昇したコストを自社で吸収し続ける形になり、利益率が削られていきました。ここで効いてくるのが、値上げ幅の根拠を自社の原価で説明できるかどうかです。感覚的な要請ではなく、燃料費・人件費・車両費がどれだけ増えたかを数字で示せる会社ほど、交渉が前に進みやすくなります。
中継輸送・複数乗務員制で走行時間を分散できたか
長距離輸送では、1人のドライバーが上限まで走り切る形から、中継地点で交代する中継輸送や複数乗務員制へ切り替える動きが広がりました。拘束時間の上限内でも運べる距離を確保するための工夫であり、設備投資や体制構築の負担はあるものの、上限規制と両立できる輸送モデルとして定着しつつあります。自社だけで拠点や要員を抱え込まずに実現するには、協力会社ネットワークをどれだけ機動的に動かせるかが鍵になります。
DXで荷待ち・手作業の時間を削れたか
前述のとおり、この2年間で縮んだ拘束時間の大半は荷待ち・荷役等の削減によるものでした。裏を返せば、待機時間や紙の手作業を削れた会社ほど、同じ拘束時間の中でより多くの実車時間を確保できたということです。物流DXは、この差を生む具体的な手段にあたります。大がかりなシステム導入から始める必要はなく、コストゼロから始められる範囲でも、待機実績の記録や配車連絡の脱電話といったところから着手できます。規制を「制約」としてではなく「非効率を洗い出すきっかけ」として扱えたかどうかが、結果を大きく分けました。
2026年以降に効いてくる制度変更
960時間規制への対応が一段落した一方で、運送業を取り巻く制度環境はいまも動いています。とくに2026年は、荷主側に義務がかかる年です。
2024年5月に公布された改正物流効率化法は、2025年4月に荷主・物流事業者へ荷待ち時間や荷役時間の短縮などの努力義務を課し、2026年4月からは一定規模以上の荷主(前年度の取扱貨物重量が9万トン以上の特定荷主)に対して、物流統括管理者(CLO)の選任を義務づけました。CLOは経営の意思決定に関わる立場から選ぶこととされており、荷主にとって物流効率化が現場の運用課題から経営課題へ格上げされたことを意味します。運送会社の側から見れば、荷待ちの削減や納品条件の見直しを、担当者の善意ではなく相手の経営課題として持ち込みやすくなったということです。
また、改正貨物自動車運送事業法により、2025年4月からは元請事業者に実運送体制管理簿の作成が義務づけられました。どの事業者が何次請けで実際に運んでいるのかを記録として残す仕組みで、多重下請け構造の可視化に向けた一歩にあたります。取引の実態が記録に残るほど、選ばれる運送会社としての実績が説明しやすくなる面もあります。
さらに2025年6月に公布された改正法では、2028年までに許可更新制(5年ごと)が導入されることも決まっています。法令遵守と記録の体制づくりは、この先、収益だけでなく許可の維持にも直結していきます。
制度対応と収益改善の時間差をどう埋めるか
制度対応で難しいのは、支出と収入のタイミングがそろわないことです。運行管理システムの導入、中継拠点の確保、ドライバーの待遇改善といった投資は先に現金が出ていきます。これに対して運賃改定が売上に反映されるのは、交渉が実って契約が更新されてからで、数ヶ月から1年単位の遅れが生じることも珍しくありません。制度への対応そのものが一段落しても、その裏側にある資金繰りの負担は簡単には解消されない、というのがこの時間差の正体です。
この局面で効くのが、資金調達手段の役割分担です。車両や拠点、システムといった投資の資金は、返済期間を長く取れる銀行融資が向いています。だからこそ、融資枠は将来の投資のために温存しておくという発想が生きてきます。一方で、運賃改定が反映されるまでの数ヶ月間に生じる運転資金の谷は、すでに発生している売掛金を早期に資金化する手段のほうが機動的に埋められます。利益が出ていても入金の遅れで資金が尽きる黒字倒産は、まさにこうした局面で起きやすいものです。
なお、売掛金の早期資金化は短期の運転資金をつなぐための手段であり、設備投資そのものを賄うものではありません。役割を取り違えず、投資は融資、つなぎは早期資金化と使い分けることが、移行期を乗り切る現実的な組み立てになります。
まとめ
トラックドライバーの残業960時間規制は、当初懸念されたような業界の崩壊を招いたわけではありませんでした。2026年時点の調査では、1運行あたりの平均拘束時間は10時間13分まで縮み、その減少分の大半は荷待ち・荷役等の削減によるものです。運転時間が横ばいであることは、輸送そのものを削らずに規制へ適合できる余地があったことを示しています。
一方で、価格転嫁率は業種別で最下位圏にとどまり、倒産件数も高水準で推移しています。規制そのものよりも、運賃交渉力と業務効率化への対応力の差が、そのまま収益の差として表面化した2年間だったと言えるでしょう。2026年4月にはCLOの選任義務が始まり、荷主側の関心も高まっています。「規制対応はもう終わった」と考えている会社ほど、いま一度、自社の運賃と業務体制に手つかずの改善余地が残っていないかを点検する価値があります。
※制度の詳細・数値・最新の運用状況は、必ず厚生労働省・国土交通省の公式発表でご確認ください。
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